賽の河原

賽の河原に石がまた一つ

【悲報】陰キャさんキャバクラに行く

悲劇は3月末日、4月から別部署に異動となる上司への壮行会で起こった。

 

チームメンバー10人程度で密やかに行われた1次会会場を後にして、ノープランのまま皆もたもたと歩道を横に広がって歩いていた。

そんな傍迷惑なカタツムリ達の前に立ちはだかったのは、フランクでリーズナブルな出立ちの黒人男性だった。

 

「オニサンタチ、カワイコイルヨ。イチジカンゴセンエン。イチジカンゴセンエン。」

 

カタコトだが、録音再生のように読み上げられた定型文のキャッチ。

この地域はすぐ近くに南米系の外国人が多数移住しており、特段珍しい光景ではなかった。

俺は先頭の上司を盾にしてその南米から遠巻きにゆっくりと歩きつつ、南米と、店の看板をそれぞれ交互に2度見した。

 

直射日光を避け冷暗所で保存されてきたような湿気を放つ俺にとって、キャバクラを含めた風俗店経験が皆無であるのは必然だった。

しかし時は弥生の夜四つ。昼に比べてぐっと冷え込む。

日中の薄着のまま参加しているワイルドなチャレンジャーも多く、上司もこれ以上外を出歩くのは限界だと感じたようで、そのまま店に入ることになってしまった。

 

店内に南米の姿はなく、フォーマルな衣装に身を包んだエコノミックアニマルに出迎えられた。

 

あっという間に席に通され、1人分ずつ間をあけてソファーに座らされるチャレンジャーたち。

案内をしたボーイに指名相手は特にいないことを告げて、彼らはそわそわと浮足立っていたが、夜の蝶たちは直ぐに舞い降りた。

 

俺は歩いてくる彼女たちの姿に目映さを覚えたというか、単に眩しかった。

なんというか、よく小学生が図工用に買ってそうな30枚入150円くらいの折り紙に「SSR枠です」みたいな顔して1~2枚入ってる金とか銀のキラキラしたアレ。

そんな感じの光沢があるドレスを着ていた。

 

夜の蝶はチャレンジャーたちの間に1人ずつ腰掛けた。

正直、顔が可愛かったかどうかは覚えていない。それどころではなかったのだ。

初対面の女性と話題を見つけて会話しなくてはいけない、これが俺にとっては拷問以外の何物でもなかった。

「こんばんは~会社の飲み会?こういうところよく来るんですか~?」とか聞かれた気がする。

(ああ…遂にきたか……喋りたくないな……)

俺のような陰キャは初対面の喋り出しに必ず「あっ」が付いてしまう始末である。

そんな小林製薬も顔負けの滑り出しを見せるはずだった俺の開口一番は、思いがけない幕開けを迎えた。

 

「あいや〜…」

しまった。「あっ」の発音が短すぎた。

「アイヤー」

中国娘みたいになってしまった。

漢字で書くと「哎呀」だ。

そんな歯痒さを覚えながら、俺は「初めてですね~」と続けた。

 

その後は話題を探りながら

中学校の音楽の授業で陰キャ友達3人と『涙そうそう』を歌ったら、他の全員から「お葬式」と言われた話。

同期に誕生日プレゼントでスタバカードを渡されたが、スタバ童貞だから行くのが怖くて2年以上放置している話。

駅のトイレで小汚いおっさんに痴漢され、手も洗わずに駆け出したあの夏────。

 

は話さずに普通にお互いの仕事とか当たり障りのない話をした。

こんな場所ですら相手へのセクハラを気にする気の小さい陰キャにとっては、相手にとって回収しづらい自虐を交えた自分語りなど以ての外だったのだ。

 

しかしそんな努力も虚しく、会話は日本史の一問一答問題集のように発展を見せず、「この辺住んでるですか~?」とか「顔小さいですね~」とか話しかけてきた嬢も徐々に会話のペースが落ちてきた。

俺は目のやり場に困りながら、酒で気が大きくなって自分語りに耽る正面の先輩と、斜め前で鼻の下を伸ばすおっさんたちを眺めていた。

 

なんだこの空間は。

なんで俺らが金を払う上に俺は嬢を楽しませなきゃならんと思っているんだ。

意味がわからん。たぶんワイトもそう思ってる。

 

やがて、都会の喧騒に取り残されたように、2人の間には静寂が訪れた。

そうか、答えは「沈黙」───。

『休載×休載』でも誰かがそう言っていた。

しかし終わらない沈黙と自粛生活。

俺を除いて配られたバレンタインチョコレート。

世界が孕む矛盾と不条理に、俺の胸中は穏やかではなかった。

ここは秘密の花園ではない、地獄の窯の底だ───。

 

結局滞在時間は45分程度だろうか。俺は途中からほとんど気を失っていた。

近くにいたエコノミックアニマルから会計を渡された上司の驚きの声で、俺は我に返った。

会計は18万円。南米のイチジカンゴセンエンから計算しても3倍以上の金額だったのだ。

結局のところ、イチジカンゴセンエンは座席の値段であり、夜の蝶たちが飛び回り集めた蜜、もとい頼んで飲み干した酒がそれ以外を占めていた。

 

金を払い店を出た元チャレンジャーたちの顔はみな様々だった。

若い女にイキれて気分を良くしたおっさん。

すっかり酔ってもう何が何だかよく分かっていないへべれけ。

 

俺はここで一体何を得たのだろうか。

夜空に浮かぶ欠けた月が、俺の心を映し出しているようにも思えた。

本当は思わなかった。